昔行われていた原木の搬出方法とは?機械化される前に行われていた先人の苦労と工夫

 

 

こんにちは、ナカイです。

別の記事で林業の仕事の流れを紹介しました。

林業って何してるの?今と未来をつなげる職業、林業の仕事の流れはこれだ‼︎←気になる方はこちらも読んでください

近年は機械化が進み林内で伐採・造材した原木を架線や高性能林業機械を使い土場まで集積しトラックで搬出するのが一般的です。

このように機械化が進んだのは1950年ごろと言われておりそれ以前は様々な方法で搬出していました。

今回は林業の歴史、機械化(フォワーダ等)が普及する以前の搬出方法を紹介していきます。

搬出方法

架線集材や高性能林業道具を使っての集材以前はほとんど人力で山から原木を下ろしていました。

集材方法も地域の特色を生かした方法があり、その中から代表的な修羅・木馬(きんま)索道・鉄砲堰と、現在も使われていたものが残っているトロッコを紹介します。

修羅

出典:「木曽式伐木運材法」(中部森林管理局)https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/kiso/morigatari/unzaihou.htmlを加工して作成(2021年9月9日に利用)

修羅とは傾斜面な谷側に沿って丸太をトイのように並べることで木材の上を原木を滑らせ土場まで搬出する方法です。

傾斜に作ることで原木の重さを利用してトビで丸太を1本1本滑り落としたり、家畜を使い牽引していました。

伐採予定の面積が完了すると修羅を奥側から解体し搬出していました。

修羅の構造によって呼び方が変化し、山の土壌に窪み(木材を滑らす経路)を作り搬出する土修羅、川を堰き止め一気に放流することで木材を運搬する水修羅、丸太や板を使用し山から運搬する木修羅の3種類あります。

土修羅は木修羅のように丸太や板を敷く必要がなく手間がかからない一方で運搬した木材が大きく損傷してしまうという欠点があります。

丸太だけでなく板を併用したものを桟手といい、木曽地域で使われていました。

木馬(きんま)

木馬とは木材を搬出する際に使う木製のソリのことを指します。

林道が全国で作られる前(1960年代以前)は木馬がよく使われ、森林に木馬道(きんまどう)が巡らされていました。

木馬道とは伐採箇所はら土場までの木材搬出路のことを指します。

幅は1mほどで線形は緩やか、路面には木ソリの摩擦を減らすため丸太が進行方向に直行する形(番木)で敷かれていました。

縦道(傾斜のある道)は原木を積んだ木馬を人力で支えながら少しずつ下っていきます。

そのため雨天時は危険(コントロールか効かない)のため仕事が行えませんでした。

傾斜が無い平坦な道や緩い登りは全身を使って引き、油を木馬道に塗りながら進んでいました。

このように過酷な労働だったため、力持ちで足が軽く起点を効かせることが出来るなど様々な条件を兼ね備えた人しか運搬できませんでした。

森林鉄道(トロッコ)

森林鉄道はも木材搬出のために建設された産業用鉄道で急傾斜地の山岳地域でも運搬できるよう幅が狭く、カーブが多いのが特徴です。

木材だけでなく林業を行っている集落の移動手段(週末の買い出しなど)としても使われていました。

1909年に初めて津軽に森林鉄道が開通し、その後長野県木曽や高知県魚梁瀬(やなせ)と全国の森林地帯に様々な森林鉄道は建設されました。

1960年代までは林道網が少なく、トラックの性能が低かったため木材を大量に運搬する森林鉄道が重宝されており宮崎県では森林鉄道の路網の長さが当時の国鉄を上回るほどでした。

しかし1970年代以降、木材の輸入が本格化し鉄道で運び出すほどの量の木材も森林(鉄道に近い範囲で)から伐採することが出来なくなり、トラックの性能向上など様々な要因で1975年の木曽森林鉄道を最後に本州では森林鉄道は無くなりました。

現在でも使われている森林鉄道は屋久島の安房森林軌道が土埋木の運材や観光施設への物資運搬を行っています。

路線の1部が縄文杉までの登山道にもなっています。

運材索道

索道は現在も日本の林業で使われている搬出方法の1つで地形の影響を受けにくく急傾斜でも対応ができ、山から山への物資の移動も可能です。

架線運材の始まりは明記がなく諸説あります。

現在は動力式の架線集材ですが、動力(ガソリン)があまり普及していなかった時代は重力を利用した交走式(釣瓶式)が一般的でした。

↓現在行われている架線集材について書いてあるので読んでみてください。

道なきところは架線を使え⁉︎急斜面での林業作業の救世主?高い技術力が必要な架線集材システムとは

交走式は木材の重みと重力を利用することで搬機が主索と副索を往復し搬出して行く方法で、木材をおろす下側(土場)にはブロックブレーキがついておりスピードを緩めて衝撃が大きくならないようになっていました。

鉄砲堰(てっぽうぜき)

写真はイメージです

鉄砲堰とは埼玉県秩父地方で呼ばれていた名称で、全国各地にも堰を使った木材搬出方法はあります。

鉄砲堰は林道や自動車などの運搬技術が進歩していない時代に行われた搬出方法で、一定の水量がある河川に丸太を組んでダム(堰)を作り伐採した木材をその地点まで運んできたら浮かべ水切りを外すことで、下流まで木材を押し流します。

幕末から明治初期ごろまで一般的に用いられていました。

しかし、木材が岩などに当たり破損したり、木材が紛失するといった欠点もありました。

最後に

いかがでしたでしょうか?

今回は昔行われていた原木の搬出方法について書きました。

昔は山から伐採した木を土場まで運ぶのも一苦労でした。

だからこそ昔の木造住宅は解体が可能で、できる限り木材を長く使えるようにしていたんだなと思います。

しかし、1つ1つの搬出方法は先人が知恵を絞って確立された方法で近年はチェンソーや高性能林業機械などの技術革新によって安全に楽になった今でも知恵・頭を使って改良、効率を上げるよう日々考えて行くものだと思います。

気になる点、質問ございましたら気軽にFacebook株式会社アーボプラスにコメントしてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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